初心者の覚え書き【宝塚】

宝塚についてたまに書くブログ

読んでも得るものは何もなし

実況CDを買ったから聴いた。そして読んだ①(かもしれない)

先日キャトルレーヴで『BADDY』のCDを買った。買ってから気づいたのだけど、ジャケットの右上に「月組公演・実況」と書いてある。

実況とは??

実況というとスポーツ中継でアナウンサーが逐一目の前の様子を熱く説明しているものを思い浮かべる。

私は普通に『BADDY』の音楽が聴きたかっただけなのだが、実況とは一体どういうことだろうか?

まさか本当に公演を実況しているわけではあるまい。それはそれでちょっと面白いけど。ただ、めちゃくちゃうるさいし鬱陶しいと思う。

念のため宝塚の実況CDとは何かと調べたら、劇場での公演の音源を収録したものだった。要するにライブCDである。だろうね、そうだろうとは思っていた。実況という言葉が紛らわしすぎる。

中に入っているブックレットに歌詞と誰のパートなのかが書いてある。これはありがたい。声だけじゃ誰が誰だかわからないし、実際の公演を3回しか観ていないし、観たところでどこを誰が歌っていたのかなんてきちんと覚えてない。というか、にわかの私には覚えられない。

さっそく聴いてみる。

せっかくだから最初から通しで聴けばいいものを、私は「カオス・パラダイス」を聴いてみた。これが一番好きだから。

「カオス・パラダイス」を一回聴いて、やっぱり最初から聴こくことにした。歌詞を見ながらじっくりと聴く。

劇場では視覚を研ぎ澄ませて見たい人を見ることで精一杯で、どんな歌詞だったのか事細かに覚えていなかった。こんなこと言っていたのか、と発見がたくさんある。

一通り聞き終わり何度か読んで感じたのは、私はストーリーをきちんと理解していないまま無駄に3回観てしまったのだな、という後悔のみ。

歌詞をきちんと把握していなくても、何となくのストーリーは理解していたつもりだった。ざっくりと言えば「月からやってきたバッディたち悪党がピースフルプラネットである地球をひっかき回して、最後には天国に行っちゃうけど、やっぱりバッディはバッディで大人しくなんてしてらんねぇよ!」っていう。

アウトラインは合っていると思うけど、それぞれの人物にきちんとドラマがあった。

とはいえ本の感想文を書かせれば「これはあらすじですね」と先生から赤が入るくらいには読解力がなくて感受性皆無な私だから、アウトラインですら見当違いという可能性はじゅうぶんにある。でも書いてみる。

感じ方は人それぞれ。もう千秋楽も目前なのでどこかで目にしたことのある、今更な感想ばかりにちがいない。


ざっくりと捉えたストーリーをほんのちょっと突っ込んで考えてみると「【善】が【悪】を知り、【悪】が【善】を知る。今まで自分たちの中にあった価値観がゆらいで動揺している人たちがいて、その人たちが互いを知ることでどうなっていったのか?を追いかけているショー」なんだと思った。

 

◎王子

一番わかりやすいのが暁千星さん演じる王子。

最初に「悪いってなあに?」って可愛らしく尋ねていたあの王子。あれ何歳の設定なんだ? ちょっとアホっぽくも見える。5歳くらいのしゃべり方のように思うけど、そんなわけないか。5歳はおとり捜査に参加しないと思う。まー、暁千星さんが可愛いから何でもいい。

「悪い」っていうのが何なのかわからない王子でも、平和が退屈だっていうのは肌で感じている。「ぼくは退屈なんだ」と。国民全員がよき人生を歩み天国へ行くことを「そうか退屈だなぁ」と言いつつも受け入れる。その生き方に疑問を持つことはない。ずっとそういう価値観の中で生きてきたから。そもそも退屈さを打破するモノの存在を知らないから。

そんなふうに純粋培養されている王子が、バッディに出会ってしまって「悪い罪」の魅力にとりつかれてしまう。『カオス・パラダイス』で暁千星さんが銀橋で歌っていた。自分の中で何か変化が起きている。それを感じている。悪い罪の魅力を知ってしまった、と。

それは退屈を終わらせる魔法。

だけどやっぱりそれはダメなことで、悪いことをするのは悪いって理解してもいる。「やっぱりダメだよねダメだよね…」って。

 

そんなふうに退屈な日々を送っていたせいか、ビッグシアターバンクから金が盗まれた時に一緒に連れられていった際、王子は怖がってなかったように思う。むしろ喜んでいたんじゃないか? ここら辺の王子の様子はあまり記憶にないけど、アイツのことだからきっと「ひゃっはー!!」って笑っていたにちがいない。ロブスターに扮しておとり捜査に嬉々として参加するくらいだから、退屈をしのげることならなんだって喜んで受け入れるだろう。

バッディに近づけてうれしかったのか。それともいっときだけ「悪」の方に物理的に身を置けてテンションあげているのか。今あの部分を見直したら全然違うかもしれない。誘拐されて悲壮感丸出しで泣いているかもしれない。でも私は「ひゃっはー!!」であってほしい。何も考えず無邪気に喜んでいるアホであってほしい。

  

とはいえ悪に魅入ってしまった自分に王子は戸惑って迷っていた。でも結局王子はそこに墜ちることはなくて、天国では「天国の平和を護るのが僕の使命。幸せだけど少しだけ退屈」と少々不満を漏らしながらも生きている(いや、天国だから死んでいる?)。

子供ながらに使命感みたいなもの抱いているのは【王子】であるがゆえか?

 

とはいえやっぱり王子だし、子供だし、「悪い罪の魅力」に墜ちないほうがいい。子供って手加減するとか抑えるとかしないし、けっこう残酷だから王子が悪に墜ちたらだいぶ手に負えない子になる、絶対。可愛らしい純粋無垢な顔してサクッと人を刺し殺しそう。もはやサイコパス。バッディよりたちが悪いかもしれない。悪に墜ちなくてよかったね、よかったよ。

それからすごく細かいのだけど、暁千星さんが銀橋でソロを歌っている時「まほう~あ~」の「あ~」の最後で声が裏返ってはねるところが好き。

  

◎ポッキー

月城かなとさんが演じるポッキーパターンの「善と悪の邂逅」もとてもわかりやすい。

なりゆきでバッディに誘拐されて、モテる=デンジャラスな男になるために悪のレッスンを受ける。偽造パスポートで荒稼ぎするところまでいっちゃう。最初見たときは、ポッキーがおとり捜査として仕方なく悪事を働いているのかと思ったけど、嬉々として普通に1冊100万円で売って稼いでいるようだ。だからそれを見かねたグッディが「おいオマエなにやっとんねん!」て追いかけていっているわけだけど。

このパターンはありがちで、ささいなきっかけで「悪」の方に足を踏み入れちゃうことから始まる。「悪」の人たちと一緒に過ごしていくうちに、彼らもそこまでの「ワル」ではなくて、自分と同じ人間で誰かを愛しもするし、好感の持てる内面があることに気づいてしまう。ああ、気づかなければよかったね。

下手したら友情すら芽生えて、このままこっちの環境にいてもいいような気にもなってくる。でも思い出す。自分はこの人たちとは相容れない関係にあって、本当はやらなければいけない使命があったのだと。

 

ポッキーの場合、その使命を思い出させたのは紛れもないバッディ。

かっこいい男の生き様=信念を貫く、ということをバッディから教わったらしい。バッディが悪を貫こうとする姿から、善を貫くことを学んだってことなんだろうけど。これに関しては、わかるようなわからないような…。

ただ動機はそれだけじゃなくて、「おいオマエなにやっとんねん!」ってグッディに追いかけられたのを、ワルな自分に惹かれているから追いかけてきたと勘違いしてグッディへの愛が加速し、それとともに忘れかけていた「やるべきこと」を思い出したってのも理由のひとつとしてあるんだろうな。

グッディに追いかけられた直後の『バッディ覚醒』で、バッディが「明日ビッグシアターバンクに惑星予算が収められるって」と誘導されるところからポッキーの「信念を貫く物語」は始まっていたはずだから。

 

とはいえ、信念を貫くために取った行動が「爆破」とは…。ちょっとやりすぎなんじゃ?

下手したら王子も死んじゃうから。誘拐された王子、まだアジトにいるんじゃないの? 暁王子が危ないからやめてくださいよ。

ポッキーみたいに真面目で優しくて気が弱そうな人間に限って、思い込んだら一直線というか。やることがデカすぎちゃう。

いきなりすぎて唐突すぎて「なんでその思考になったよ、オマエ」って周囲がびっくりする。

だけどこういう役、けっこう好き。『BADDY』の中で何の役をやりたいかと問われたら間違いなくポッキー。物語が「結」に向かう契機になる人物だから。「転」になる人物だから。

不器用だけどまっすぐで、憎めなくて、本当は誰よりも熱い心を持っていて。いいやつだから死なせいでほしかった。でも死ぬからこそ魅力的に映るんだけど。

 

◎スイートハート

盛大に爆破させて死んでゆくポッキー。そんな彼にすり寄るピンク色の影が…。

美弥るりかさん演じるスイートハートは爆破されたアジトでポッキーとともに死んでしまったんだろうか?

「君こそダイナミックでデンジャラスな男」と言ってポッキーを抱いたまませり下がっていく。最終的にバッディからポッキーに乗り換えたんだろうか? 

スイートハートは最初、なんだかよくわからない印象だった。飄飄としている。
この人だけは「善」と混ざり合うことはなく、「善」に共鳴することがなかった。スイートハートは最初から最後までスイートハートだった。つねに「悪」の側に居続け、スケールの小さい男になってしまったバッディを嘆くけど、自分が「善」にからめ取られることはない。

 

あぁ、そうか。よくわからないと思ってしまったのは、善と悪に翻弄される人ばかりの中で、常に同じ立ち位置にいたから「あれ?」と思ってしまったんだ。なんでこの人だけ他の人と同じように動かないのかな?と。そこが冷めているようで、何を考えているかわからないように見えた。でもスイートハートこそが信念を貫いている男(女?)なんだ、きっと。

そう考えると最後にポッキーにすり寄っていったのはなんでかな、とも思う。常にバッディに一直線だったスイートハートがなぜ最期、ポッキーに寄っていったのか。信念を貫くなら最後までバッディのところにいそうなものなのに。

 

それは『スイートハートの嘆き』に書いてあった。

スケールの小さい男になってしまったバッディに対して、もっとデンジャラスな罪を犯してほしいと訴えている。

「命賭けたDanger beautiful crime」
これこそポッキーが成し遂げたこと。

ポッキー死んだみたいだし。信念を貫くために「爆破」するという、かなり危険で美徳に満ちた罪を犯したし。ただ、あれで絶対何人か死んだと思う。激発物破裂罪だね。とんでもない罪だよ。

でもそこまでやったら、そりゃスイートハートだって「コイツこそ私が求めるデンジャラスでダイナミックな男かもしれない!」って血迷うのも無理はない。決してバッディを捨てたわけじゃなくて、その瞬間ポッキーに心を奪われてしまっただけのこと。

よくよく考えると、スイートハートがいちばんわかりやすい人物だった。最初から何も変わっていなかった。私はさっきとは真逆なこと言っている。

男だか女だかわからないっていうもの、正直に生きているからこそ。

自分に嘘つかないし、何かに動じることもないし、自分を貫いている。一番魅力的なキャラに見えるのも当然だ。

 

そんなスイートハートだけど、天国に行ったら「善」に侵されてしまった。

今日はボランティアしたし、昨日は席をゆずったらしい。ついに自分もヤキが回ったって嘆いてる。
でも案外そんな自分を好きだと思う。自分に正直なスイートハートだから、「善」っぽい要素が入り込んだ自分もそれはそれで楽しめている気がする。
バッディみたいにスケールの小さい男になってしまって「ひゃーどうしよう!!」って焦ったりしない。変化に一番適応しているのは柔軟な思考を持っている証拠。

 

スイートハートの歌い方ってちょっとねっとりした感じがあるけど、あれは美弥るりかさんの歌い方なのかな? カンパニーで高野さんって歌っていたっけ? そりゃ歌っていたよな。その時の記憶がなさすぎて比較できない。

単語の語尾で「ひゅるん」て裏返る歌い方。ラルクHYDEみたいな歌い方。あそこまで大げさじゃないけど。『カオス・パラダイス』が一番顕著に出ている。ヒーカップ唱法ってやつかな。ああいう歌い方がすごく好き。HYDEまでいくとちょっとやりすぎだから微妙だけど。そういうのも含めてキャラとしてはスイートハートが一番好きだった。

 

 

 

はあー、書き始めてみたけどこれはしんどい。挫折。

バッディとグッディについては気が向いたら書こう。書かない可能性の方が高いけど。②はないかもー。