初心者の覚え書き【宝塚】

宝塚についてたまに書くブログ

読んでも得るものは何もなし

私の心を引き戻したあいつの名は…

正直に言うとほんの少しだけ宝塚熱が冷めていた。

燃え尽きるほど通ったわけではなく、劇場で3回と千秋楽のライビュを見ただけだったけれど、月組が終わってしまってちょっとした喪失感を味わっていた。

 

賛否両論あったみたいだけれど私はにわかだから「宝塚はこうあるべき」とかそんな大した持論などあるわけがなくて『BADDY』はすごく楽しめた。あれは何度でも見たかった。何度見ても飽きないだろう。ただ映画館で思ったけどやっぱり『BADDY』は生で見て音を体で感じた方がいい。まー、そりゃそうか。舞台は生がいいのは当たり前だ。でも逆に『カンパニー』は劇場で見た時はそれほどだったのに、映画館では「なんだかこれすごくいい演目だったかもしれない」と感じた。最後の最後で。

 

そんな状態だったからライビュ後の週末に宙組の『天は赤い河のほとり』が控えていたにもかかわらず、私の心の中にはそれほど【わくわく感】はなかった。

これはもしかして私の悪いくせが出てしまったかもしれない、と嫌な予感がした。

私は熱しやすく冷めやすい。

のめり込む時はけっこうな勢いでのめり込むのだけど、冷めると早い。今までの熱量がウソだったかのようにさーっと引いていく。

あー、これはまずいかもしれない。ホントに冷めてたとしたら、これから先ちょこちょこチケット取ってるけどどうすんだ? 

観劇日の朝までその状態は続いていた。

 

でもそんな懸念は『天は赤い河のほとり』 が始まり、真風涼帆さんが歌っているのを見て聞いて徐々に薄れていった。

そうそう、私、この人のこの歌い方なにげに好きだったんだ!

なんか口を開かないで腹話術みたいな感じで歌ったりしゃべったりしてるように聞こえるんだよね、真風さん。平らな感じというか。もちろん普通に口開いてるんだけどそう聞こえる。別に下手じゃなくて独特のクセみたいなものがある。

あと時たま出てくるセリフの語尾が上がるやつ。うまく説明できないけど、例えば「〇〇でしょ」というセリフがあったとしたら真風さんは「〇〇でしょぉお」みたいに語尾が伸びて上がる。と私は勝手に感じてる。

そういうところが何だか気になっちゃうし意外と好きだったりする。だから『神々の土地』以来のそれに再会して私は嬉しくなった。

 

だがしかし、私の心を引き戻したのは真風涼帆さんだけではなかった。

登場したときからのオーラがすごすぎた。なんだあいつ。あいつすげぇぞってひるんだ。立ち居振る舞いがすべて美しかった。

もちろんにわかな私でも彼女の存在も名前も知っていたし、今回の演目の役の姿も動画や写真などで見て知っていた。でも全然気に留めていなかった。

先日2014年花組エリザベート』のルドルフ役を演じているのを見たばかりだったけれど、特別何かに惹かれるところはなく「ほほぅ、柚香光さんよりは歌上手いんだな」くらいの感想しか抱かなかった。柚香さんに失礼だな私…。

 

そう、私の心をがっつり掴んだのはラムセスこと芹香斗亜さん。

さすが2番手の風格漂う。あの存在感は何なんだろう。立ち姿がかっこよすぎる。座るときの足の開き具合とか全ての面で、男前であることに隙がない。すごい憧れる。女が男に惚れる感じじゃなくて、男が男に惚れる感じで憧れる。私は女だけど…笑

 

だから私はけっこう好きな真風さんよりも芹香さんを見ていた。

オペラで覗いて御尊顔を拝したい気持ちと、直接目の中にその全身を入れて観察したい気持ち(11列目だったからそこそこ見えた)のぶつかりあいで、私はオペラを上げたり下げたり忙しかった。

 

芹香斗亜さんの入りや出の写真を見かけることがあるけど、そこだときれいでスタイルの良いモデルのお姉さんという感じなのに、舞台に上がるとあんなに目を引く男になるのが不思議で仕方がない。

劇場に入ったあと、舞台に上がるまでにいったい何が行われているのだろうか。謎だ。非常に興味深い。

いや、ただメイクをして衣装に着替えているだけだろうけどな。

 

今回初見だったから全体的にいろんなものを見たくて芹香斗亜さん観察ができなかった。だから今度当日券で行って芹香斗亜さん観察がしたい。芹香斗亜ロックオンがしたい。

芹香さんのおかげで私はまだ宝塚から抜け出せないらしい。

 

見たもの見たもの好きになる。節操なさすぎて笑える。

でもそれは見たものの中に必ず好きになれるものが存在するということ。それってすごくない?

宝塚ってすごくない?