初心者の覚え書き【宝塚】

宝塚についてたまに書くブログ

読んでも得るものは何もなし

月城かなとさんの『THE LAST PARTY』を見てきた話をさっくりと。

宙組さんが東京千秋楽を迎えてしまい、寂しさが二重にも三重にも私を包み込んでいます。

こんばんは。

 

 

先日、日本青年館ホールへ月城かなとさん主演の『THE LAST PARTY ~S.Fitzgerald's last day~フィッツジェラルド最後の一日』を見てきました。

一般発売で奇跡的に取れた1枚であった。

 

kageki.hankyu.co.jp

 

スコット・フィッツジェラルドと聞くとかつて村上春樹さんの何かの小説を読んだときにフィッツジェラルドをえらく話題にしていて、あたかも読め読めとまじないをかけられているような気になり、天邪鬼な私は「フィッツジェラルド?へぇ」と思うだけで彼の小説をかたくなに手に取ろうとはしなかった記憶があります。

頼んでもいないのにおすすめされても食指が動かないよー。そんな感じです。

有名な『グレート・ギャツビー』ですら話の内容を知らなかったので、いちおう前日にざっくりとしたあらすじだけチェックしました。知らないよりは知っていた方がよかったです。

 

以下、私は記憶上書き忘却人間のため大したネタバレはないと思いますが、むしろ逆に記憶違いにより攪乱させてしまうかもしれないので、今度初めて見に行くよっていう方はそっと閉じてください。

何も考えず覚えていることだけひたすら書いているので、とっちらかった文になっていて読みにくいかもしれません… 

 

 

全編を通しての印象は、理想と現実のはざまで懊悩する月城かなとさんの姿が見ていて本当に痛々しいのにも関わらず、嘆息しそうになるほど美しいということ。

「月城さん=きれい、美しい」なんていう感想は使い古されて特筆すべきことではないのは重々承知ですが、それでも言うしかない。

月城かなとが美しい。

もうそれだけ。

ご本人はビジュアル的なことだけ言われるのは不本意かもしれないけれど、私のようなにわかファンにはビジュアルはすごく大きな要素なのです。

真ん中にいる人がビジュアル面で受け入れられないって、もう終わりじゃないですか。そもそも論じゃないですか。でもそんな方は今のところ存在していないので、安心してこんな暴言吐いてます。

 

 

そしてゼルダ役の海乃美月さん。彼女も優雅できれいなお方だから、月城さんとの並びは本当に「美しい」としか言いようがない。美しい。語彙力がない自分がもどかしくなります。

この二人最初はすごく愛し合ってるんですけど、早い段階でほころびが生じてくる。

ふたりの愛のすれ違いがテーマのひとつでもあるからしかたないんですけどね。

いやぁもうちょっとお互いのこと考えてほんの1センチでいいから歩み寄ってくれよぅ、お願いだからさぁ、そしたらもっと長く一緒にいられたし、見目麗しいふたりを私たちだってもう少し見ていられたのに!なんて思ったり。

 

 

このふたりのシーンで個人的に印象深かったのは、ゼルダをニューヨークに呼び寄せたときのこと。

スコットの部屋で二人が愛を確かめあうシーン。二人が手を握るのですが、スコットが握ったあとゼルダが握り直したんですよ。握り直すというか、握り返すと言ったほうがよいのかもしれない。

ああっ、と思いました。

手を握られて握り返すって、本当に好きじゃないとやらないですよね。

示してくれた愛に応える。そういう演技だったのかなと思いました。

単純に握られた手の位置がいまいちで、ちょっと具合悪いから握り直したっていう夢も何もない行動だったかもしれないけれど、私は勝手ながらそう思うことにしました。

 

 

ゼルダが望むものを与えたい一心で小説に没頭するスコットですが、彼の思惑とは裏腹にゼルダの心は自分の方を向いてくれないスコットから離れていきます。

ついにスコットは他の男性とゼルダが密会しているのを目撃してしまい、裏切られた!!と発狂します。こんなに愛しているのに!って。

いやいや、きみさ、小説書くのに一生懸命で全然ゼルダのこと見てなかったじゃん。お金稼ぐためにくだらない短編小説書くのが苦痛なのはわかるし、自身が納得いく傑作を書くのを邪魔されたくない気持ちもわかるよ。でもさ、ゼルダだって寂しいんだよ。気づいてあげろい! ゼルダが他の男に寄り添ったのはきみにも責任の一端はあるんだからね。それなのに「こんなに愛してるのに裏切られた!!!」なんて言われても、へそで茶をわかしちゃうぜ、ゼルダが。 

とかごにょごにょ思っていましたが、ここが二人の痛々しい悲しみへの入口でした。へそで茶をわかしてる場合じゃなかった。 

 

 

満を持して書いた作品もいまいち売れず、スコットは落胆します。

そんなある日、スコットは公園で自分の本を読んでいる大学生(風間柚乃さん)に話しかけます。その小説はどうだ?と。

返ってきた答えは芳しいものではありませんでした。立ち去ろうとするスコットに、大学生は言います。

でも彼の小説は時々読み返したくなる。長編が出るのが楽しみだ、と。

 

はあ、涙が…

 

涙腺崩壊です。ここで涙腺崩壊しました。

今も思い出し涙がじわり。 

たぶんこのあとずっと私は目のまわりを湿らせていた気がします。

 

 

最後のほうのシーン。

月城さんが演じるTSUKISHIROという役者がこれからスコットの最期を演じようとするシーンだったと思うんですが、音楽もセリフも何もなく、静寂だけが訪れたときがあった。

けっこう長い時間だったように思います。

あれは不思議な空間でした。

静寂って全然静かじゃなくてうるさいんですよ。

何を言ってるんだって話ですが、静寂はうるさいんです。

ピンと張り詰めた空気。観客すべてが舞台上の月城さんを固唾を飲んで注視している。身動き一つ取れません。動いたら何かを壊してしまうような気がして動けない。

咳払いすらできない。みなさん同じことを思ってたのか、雑音を立てた人は少なくとも私の周りにはいませんでした。

緊張感に満ちた空気が耳を圧迫するんです。だから全然静かじゃない。

もうね、これ読んだ人は私の頭おかしいのかなって思うかもしれないですけどね。でも全然おかしくないですよ。

そんな空気・空間で場をもたせられるって、月城さんの存在感の大きさを感じました。

記憶上書き忘却人間なんでね、その時月城さんが何をしていたのか全然覚えてないんですよ。困ったことにね。本当に役立たずな脳みそですね。

スコットを演じるにあたり、何か気持ちを入れるとかそんなような瞬間だったような気がするんですけど、全く自信がないです。見当違いも甚だしいかもしれない。

あの空間に圧倒されてしまって記憶が飛んでしまった。

 

 

見終わったあとは、すごいもの見たな。

すごいもの見させてもらったなという気持ちでいっぱいでした。

とはいえ全然この記事じゃ伝わらないですね。伝えたいのに伝えられないってもどかしい。 

 

 

あ、私、暁千星さんが好きなのですよ。

なので少しだけ…。

アーネスト・ヘミングウェイ役でした。登場場面はそれほど多くはないです。

ボクシングをやっている肉体派の役なので、けっこうワイルドな感じで出てきました。あの「わるいってなぁに?」なんて言っていた王子が無骨な感じの男として颯爽と現れるわけです。

背高いし足長いしスタイルいいし肩幅あるしかっけぇな、と。

タキシード姿は言うことなしで、私もこんな人間になりたかった(謎目線ですけど)、とひたすら憧れましたね。「とりあえず痩せよう」とかどうでもいいこと考えてました。

 

最後物語が終わったとき、暁さんがすごい勢いで舞台袖に走っていったんで何事かと思いましたけど、フィナーレでトップで出てきたのでした。ああだからかと。

暁さんのダンス、惚れ惚れします。ダンスなんて素人なのでよくわからないんですが、いつまでも見ていたいなと心底思う。

それでもって【やっぱり顔が好き】とあらためて確認したのでした。

ホントにちょっとの感想でした。あと何回か見ることができればいろいろ書けそうなのに残念ながらその機会がない。

 

 

今回、幸いなことにはしっこの方ではありましたが4列目で観ることができました。

舞台袖からバタバタと歩いたり走ったりする音が聞こえ、引っ込んだと思ったらまた出てきて、ああ生の舞台を観ているんだな、この人数で入れ代わり立ち代わりしながら舞台を作り上げていってるんだな、というのが深く感じられ、なんだか心が躍りました。

 

本当にとてもよい舞台でした。

頑なに読まなかったスコット・フィッツジェラルドを、読もうと思いました。