煙草を吸いたくなるホテル
もう何週間も前になるが、宙組公演『Hotel Svizra House ホテル スヴィッツラ ハウス』を見に行ってきた。
ありがたいことに2回見ることができた。悪名高きブリリアホールであったが、両方ともそう悪くない席であった。
過去に『ロックオペラモーツァルト』と『出島小宇宙戦争』でブリリアに来たが、そのときも【見える】席だったため、まだこの劇場で【見えない】【視界遮られ】を経験していないのが幸いである。
幕が開いて思う。
あ。
そうか、まどかちゃんいないんだ。
私は宝塚歴が浅い。本格的に宝塚を見るようになった時のトップさんは、花が明日海・仙名、月が珠城・愛希、雪が望海・真彩、星が紅・綺咲、宙が真風・星風(すべて敬称略)だった。
ほとんど辞めてしまったなぁ、と書きながらしみじみしてしまった。
雪とか星みたいにいわゆる添い遂げ退団すると、その後の体制になったときあまり違和感がない。スパッと切り替わる感じ。新しくなったのね、って。
ゆきちゃんが退団した後は明日海・華コンビだったが、実質大劇場での青薔薇の1作しかなかったので正直申し訳ないが別に他意など何もないのだけれど違和感を感じる以前の問題で、なんとなくノーカウントにしていた(私が勝手に)。無意識にそうしていた。明日海さんの退団公演だったし、そこにスポットライトを当てていたし(私が勝手に)、華ちゃんは添えられているだけのような感じで。だから逆に華ちゃんの存在はあまり異質なものではなく自然とそこにあったとも言える。
月はちゃぴちゃんが退団した頃の月にはそれほど思い入れがなかった(言い方が悪いですね。単にちなつさんがいた花組とキキちゃんがいた宙組が好きだっただけの話です)ので、さくらちゃんになって最初は「ん?」という感じではあったがすぐに慣れた。あっけなく慣れた。
だがしかし『天は赤い河のほとり』でキキちゃん沼に堕ちた私としては、天河が大劇場お披露目でもあった宙組トップ2人には特に思い入れがある。
キキちゃんを目当てで宙組公演を追っていれば必然的に2人もたくさん見ることになるし、好きなトップコンビにもなる。単純接触の効果。真風の横には星風。星風の横には真風。合言葉のよう。
それが変わった。
真風の横には潤花。
潤花の横には真風。
わかっていたはずのことだったが、なんだか違和感があった。
まどかちゃんがいない! まどかちゃんがいないよ! 真風の横にまどかちゃんがいないなんてええええ!
だがしかし。だがしかしだ。
私という人間はなんと薄情な人間であろうか。
最初は舞台にぽっかりと穴が開いたようだった。
いないはずのまどかちゃんの面影を舞台上に探してしまっていた。
それなのに、あぁ、それなのに…
やがてその穴は埋まっていった。
徐々に埋まっていった。
自然と埋まっていったのだ。
いや、埋めざるを得ないのである。
真ん中に穴を開けておいたままではいつまで経っても不完全な舞台になってしまう。しかもその不完全さは己の問題でしかない。
潤花ちゃんのことは雪組でもあまり気にしたことがなく、正直目に入っていなかった。そりゃそうか。舞台上のすべての人間に目を配れるほどチケットなんて取れなかったし(のぞみさんの雪組だったもの!!!!)、どうにかしてゲットしたチケットで見るのは真ん中のふたり+αと真ん中のふたりの歌だった。
アナスタシアもそれほど目立つ役ではなかったし。
だから初めて潤花ちゃんの演技を見た。歌も聞いた。
潤花ちゃん(彼女のことみなさん何て呼んでるのかわからんからフルネーム)はまどかちゃんより2期下の102期生だが、まどかちゃんより大人っぽい。といっても実年齢はすみれコードでごにょごにょだけれども、1つくらいしか違わない(といっても潤花ちゃんの方が下)からやっぱり潤花ちゃんは大人っぽい、もしくはそういう落ち着いた演技ができるということか。声質がそうなのか。
まどかちゃんは童顔なのと声が高いのもあってきゃぴきゃぴ(死語か?)してる印象。真風(私は普段から真風さんを真風と心の中で呼んでいるので呼び捨て御免)に合うのはどちらかと言うと、う~ん、どっちとも言えない気がする。潤花ちゃんとのコンビはまだまだホテルでしか見てないけど、悪くない(なんか上から目線だよ、私!!)
まどかちゃんがいなくなった後に来るトップ娘役がまどかちゃんみたいな子だったら意味ないし、 違うタイプの子がいい。だから潤花ちゃんとの演技も楽しみになった。
あぁ、別に潤花ちゃんの話をしたいわけではかった。スヴィッツラホテルの話だよ。
この公演を見たときの、湧き出る様々な感想の塊を覆っている薄っぺらな皮をはぎ取って、それを機械的に言葉に変換する装置に通したらこの言葉がはじき出されるだろう。
タ・バ・コ!!
とにかく煙草を吸っている。
あっちでも吸い、こっちでも吸い、男も吸い、女も吸う。
そしてその様がとてつもなくカッコいいのだ。
きょうび煙草なんて吸う方がもはやカッコ悪い時代である。
だからこそカッコよく見えるんだろうなぁ。今じゃ考えられないけどテレビとかで昔の映像を見ると会社のデスクで煙草吸ってたりするし、バス停の灰皿に吸い殻が詰め込まれてもくもくと煙を上げていたという光景がかすかな記憶として私の中に残っている。
そんな時代だったら別に人が煙草を吸う様をカッコよいとは思わないだろう。
私もかつて喫煙者であったが、こんな私ですら煙草を吸う姿がカッコよいと言われたことがある。見目麗しいジェンヌさんたちが吸えば、そりゃ様になるに決まっている。
中でもやはりキキちゃんの煙草を持つ手が素晴らしいのですよ。
細くて長い指に挟まる煙草、それをすっと吸う姿。
煙草を持つ指先もきれいに魅せるように考えてるんだろうなぁ。
こういうの見てると煙草が吸いたくなる。もうやめたから吸わないけど。
そういえばどこかのシーンでキキちゃん、煙草を指に挟みながら踊ってなぁ。あれどこだったかな、暗闇で煙草の火が赤く光ってて、すごく印象に残っている。
それからどうでもいいことだけど、普段煙草を吸わない人が演技で煙草を吸うの見るとなんとなくわかる。あぁ、この人煙草吸わない人なんだろうなぁって。
とりあえずキキちゃんは吸ってない人だろうなぁと思った。まぁどうでもいいことだけど。他の人は知らん。キキちゃんの煙草を吸う姿は、キキちゃんに穴が開くほど見てたからな…
煙草以外の感想ないのかよと思われそうだ。
いや、あるよ、あります。
なんと言っても、ビリヤードタンゴですね。
ビリヤードのキューを持って踊ってるんですよ。
あっ、その前に、ビリヤードタンゴの前に、いっちょ勝負するか!って感じでまかキキがジャケットを脱ぐんですけど、その動きが「おいおい、なんだよ、かっけぇなぁ、おめぇら」となります。
語彙力がなさすぎて伝わらんな。もどかしい。
スリーピースなお衣装なので、ジャケットを脱ぎ、スーツベスト姿になる。
その瞬間がたまらなくよい。
ただジャケット脱いだだけだよ!
普通のしぐさだよ!
それなのになんだよあのスマートなカッコよさ。そこらのおっさんがジャケット脱ぐのとはわけが違うよ。おっさんが脱ぐのはただの「脱ぐ」だが、まかキキの脱ぐはそこに色気がある。
もう、なにをやっても絶賛しかしないのだから、こんなブログ書く意味あるのかとその存在意義を自問したくなるくらいに、あの数秒がよい。
そうそう、ビリヤードタンゴですよ。
ビリヤードのキューを持って踊るんですよ。
そして時々「コン」ってボールをつくんですよ。
(ボールをつく時の音をどのように表現していいかわからない。コンってたぶん違う。カンでもない。コツンって感じか。いや、カンとコンが混ざった感じ「カコン」か? うん、余計離れていった気がする…)
初めて見たとき、申し訳ないけどふふって笑ってしまった。
かっけぇって思う前に笑ってしまいました。
いやいや、踊ってる最中に「コン」って…って思いましたよ。
だがな、あなどってはならぬ(誰もあなどってなどおらん)。
2回目見たとき2階から見たんですがね。
あのキューを扱う動きやボールをつく動きが、ダンスなんだけれど本当にビリヤードを楽しんでる感じを表してて、ボールをついた後その球筋が良かったのか、みんなが感嘆の声を漏らす場面も盛り込まれてる。踊ってるんだけど、ビリヤードを楽しんでいる感じがすごくよく伝わってくる。
「キューを持った足の長い美しい人たちがビリヤードをしているかのように踊る」って、文字で見ると謎しかないけれど見ればわかる。見たらとてもよいのがわかる。すこぶるよいよ。
残念ながら梅芸は中止になってしまったけれど、5月5日に配信があるから見るとよい。私も見たいが私用のため見れない。見て損はない。損どころかそこには「幸(さち)」がある。見た方がよい。
あとこれだけは言いたい。
劇中でバレエの『シェエラザード』を上演するシーンがあるのだけれど、その中で歌われる『Lives in the theater』という歌がぐっときた。
「客席の片隅で舞台に恋をした」という歌詞が耳に届いた時、なんだか涙が出そうになった。
初めて宝塚を見た時に「これはすごい!」と衝撃を受けたことを思い出した。
そして『天は赤い河のほとり』でキキちゃんを見て「この人やべぇ、めちゃくちゃかっけぇ」と一気に引き込まれた時のことを思い出した。座っていた席も覚えてるし、座席から見上げた舞台の光景も覚えている。
他にも、
「生きる力与えてくれる」とか、
「劇場に集い共に生きるその喜び」とか、
もう歌詞すべてが突き刺さってくる。
この歌の歌詞全部が次から次へと私の琴線に触れてくる。
今の時代の状況と混ざり合って余計にしみるんだよな。
コロナで幕を開けることもままならなくて、でも舞台って人によっては人生において必要不可欠なもので、夢を与えてくれる。
そういった感情を舞台の上の人も、座席で舞台を見ている人も、今この瞬間ここに集っている人みんなが同じように感じている。きっとそうなんだろうなって思ったら泣けた。ま、私が勝手にそう思っているだけなんだけども。
そして歌い終わると客席は当然のことながらいつも通り拍手をするが、一緒に舞台上の人たちも拍手する。
客席も舞台上もみんなが拍手する。
もちろんこの流れからだと演者は劇中で上演された『シェエラザード』に対しての拍手という演出なのだろう。でも私はみんながこの【空間】に拍手しているような気がした。
私たちは舞台そのものと演者に、演者は舞台そのものと客席に。
お互いが拍手を送りあい、同時に舞台というものを称賛している。
そんな気がした。
あれは劇場で見たからそう感じたんだろう。
映像で見たらそんなこと微塵も感じないのかもしれない。
そんな気がする。
書いているうちにまとまりがつかなくなってきたからもうやめよ。
長くなったし疲れた。
あ、あとひとつ。
希峰かなたくんがとてもよかった。
『群盗』の時も思ったけど、めちゃくちゃ演技が上手いよな、あの子。