ひたすらコンデュルメル夫人を想う(転載)
以前、このブログではなく違うブログに載せた記事がありました。わざわざその記事だけのために作ったブログでした。
なぜ載せるのはここではなかったのか?
おそらくそれを書いた時の自分の感情にあまりにも手を付けられなくて「ここじゃない、ここだと置いていかれる気がする。いつもの私が置いていかれる」と悟ったのだと思います。
実際時を経てその記事を読んでみたが、これはヤバい。
完全に自分に酔っている。書いているうちに自分の文章に酔ってしまっているな。
そんなふうに、読んでいて実に恥ずかしい記事でした。
でも書いている内容は嘘ではないし、実際その時の私が抱えていた感情そのままです。
これ、もったいないからこっちにも置いておこうと思います。
以下、転載。
2019-02-23
ひたすらコンデュルメル夫人を想う
2月の連休に遠征して花組公演『CASANOVA』を見てきました。
私は『MESSIAH』の松倉勝家で鳳月杏の虜になったペーペーファンです。
松倉は私の心臓をギュンと握りつぶす勢いで、いや、もはや完全に握りつぶしてしまったのです。ハートはこれでもかとこてんぱんに殴り倒され、無様に死に、復活したころには松倉にさえに恋をしていました。
あのとてつもなく厭味ったらしい、心底憎たらしい表情をこれでもかと見せつけ、不遜な態度を取る極悪非道鬼畜生・松倉にすらです。
ああ、これは語弊でしかありません。
当然のことながら松倉ではなく、私は鳳月杏という役者に恋をしたのです。
銀橋に登場して瞬時にあれほどまで私の目をひきつけ、身じろぎもせずオペラグラスにかぶりつかせた鳳月杏という役者に恋をしました。
素晴らしい役者だけであるにとどまらず、素顔の彼女に触れることで、さらに惹かれることとなりました。
舞台を下りるとさっきまでのあの姿、あの人格はなんだったのかと戸惑うほど、彼女はぽかぽかとした落ち着いた雰囲気をまとう女性でした。
もはや、人として好きしかありません。
その彼女が『CASANOVA』では女役をやるということを知ります。
ポーの一族のジャン・クリフォードや金色の砂漠のジャハンギールなど、溜息が出るほどのイケメン&シブメンを演じてきた彼女が女役をやるのです。
正直ちょっと不満ではありました。私は男役を見事にこなすほんわか女性、鳳月杏が好きなのです。
乱暴に言ってしまえば、男役を演じている時とのギャップに萌えるのだと思います。ギャップの高低差があればあるほどその魅力が増します。滾ります。やはり男役さんなのだから男役を見たいと願います。
とはいえ彼女の女役が秀麗なのはミーマイのジャッキーやらサンテやらを見れば言わずもがなです。スタイル抜群、スリットから覗く脚の美しさ、滲み出る色気の爆発具合。
昨年運よく2列目で見た『Delight Holiday』。
あの時オペラを通さずに肉眼で見た、ほくろのある背中の色気といったら、ありませんでした。
あれは反則です。あんなものを隠し持っていたとは。聞いていない。
「華があって憧れる女性」というのではなく、冷えていくもの陰っていくものの中に見出した黒いきらめきに惹き込まれるような感覚。
たくらみを抱えてる女性の妖美さ。
綺麗であるということはなんて価値のあることなのだろう、と当たり前のことに感動しました。
こんな有様だから、女役の彼女を目にして私のハートが毎秒暴発するのは火を見るより明らかでしょう。
要するに、好き。
そういうことです。
だから男役でないことに対してちょっと感じた不満はあくまで「ちょっと」であって、私にとってはそれほど大きなものではないだろうと。大して懸念するほどのことではないと感じました。楽しみだけしかありませんでした。
しかしのちに花組から月組へ組替えすることが発表されるに至り、この不満がぶり返してきたのです。
花組最後の作品になるならば、あのメンバーの中で芝居をする男役・鳳月杏を拝みたかった。もう見られないのかと思うと、どうしても求めてしまいます。その気持ちは今でも少しあります。やっぱり、ある。
そうは言っても決まったことは仕方がないのです。
芝居巧者・鳳月杏を見るという最大の幸せを得られることに何ら変わりはありません。
こんな私がコンデュルメル夫人の虜にならないわけがないのです。
鳳月杏が演じているというだけで9割方好きになる運命にあるのです。
そして結局のところ私はコンデュルメル夫人沼に落ちました。いや、堕ちた。堕ちるべくして堕ちたのです。
たった一度だけ見た『CASANOVA』。
コンデュルメル夫人をひたすら想います。
一度しか見ていないのでだいぶ記憶が薄れてきていて、もはや妄想に彩られた虚構の感想文になっていることでしょう。
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舞台の後ろの方から登場してきたときに、なんだろう、舞台の色が変わった。
生暖かい風が吹いたような色になった。
人をかどわかす妖艶な何かが存在するとしたら、そうやって登場するのだろう。
ゆるやかに、そして人を試すような余裕の笑みを浮かべて近づいてくる。
存在感がありすぎた。後ろの方にいるのに銀橋のど真ん中にいるかのような圧倒感。圧迫感。
どうやら彼女はカサノバを手に入れたいようだった。夫にそれをねだっている。
なんと図々しい嫌な女だろうと思った。だがすぐにその色気で許された。私は簡単に彼女を許した。
コンデュルメルは妻にそんなことを言われどんな表情をしていたか。微塵も記憶にないが、きっと嫉妬に汚れた顔ではなかったかのではないか。夫はもう妻に対して愛情のかけらもないのだな。そう理解した。しかし納得がいかなかった。
こんな色っぽい妻に興味を失っているというのか?
ドレスのスリットからのぞく美麗な脚にゾクゾクしないのか?
ウソだろ?
コンデュルメルよ、男失格だぞ。
コンデュルメル夫人のナンバーは永遠に続いてほしいと願った。
彼女に興味がない人にとっては「長い」と感じるかもしれないが、私には体感5秒だった。体感5秒のアトラクション。もう終わったの? 「もっと、もっと」とねだりたくて仕方がない。
男役なのにきれいな高音を繰り出し、安心して聴けるほど揺るがない歌声。
歌に添えられた振りも手先指先のしなやかさを生かした美しい動き。
本当に見ていて飽きない。ずっと見ていたい。
目で見たものを忠実に記録し再現できる機能が人間に備わっていないことが腹立たしい。
黒魔術に傾倒しているというキャラクターだったため、ヒール的な立ち位置なのだと勝手に思い込んで観劇に臨んだ。
そういう目で彼女を見ていたが、あれはどこの場面だったか。
コンデュルメルに「オマエと結婚していなければ!」というセリフを吐き捨てられた直後の夫人には、悲しみのベールがまとわりついていた。
上手前方で見ていた私には彼女の表情をうかがい知ることはできなかったが、背中が、彼女の背中が悲しげに凍りついていた。
そうか、そういうことなのか。
ようやく私は気づいた。
彼女はこじらせているだけなのだ。
カサノバなんて本当はどうでもよくて、夫のことが好きで好きでたまらないのだ。
観察眼のない私はそこでようやく気付いた。
先入観を持ちすぎるのは本当によろしくない。
気づいてしまうと、これまでの場面をもう一度きちんと見たくて仕方がない。
仮面舞踏会のシーンはいったいどんなだったか。そこにも二人のストーリーがあったはずだ。
狂おしいほど望んでいた夫の愛を手に入れることができないと悟った彼女は絶望し、自分を人形にしてしまおうと薬を飲む。
黒魔術に傾倒しているのであればどうにも立ち行かなくなった時には、最後の手段としてその魔術に頼り、夫をどうにかしてしまえばいいと思うが(どうにかできるかどうかは別として)、それをしないのはきっと夫に誠実であろうとしているからだろう。
夫に対しては一点の曇りも持ちたくないのではないか。だから邪な術を使うことができず、自分が消えるという選択をした。
あぁ、これは切ない。切ないという陳腐な表現しかできない自分に殺意すら感じる。
このまま終わってしまうのか。この悲しい結末のままで。
しかしそこは祝祭喜歌劇と銘打った『CASANOVA』だった。
カサノバが差し出した薬を飲んだら、彼女が「生」を取り戻した。
心底安堵したが、不純な私は違うところに注目していた。
息を吹き返すときのあの、苦しさを含んだ吐息。
「ん、んはっ」といった…
ここだけ、なぜか妙に大人なエロティックな小説だった。
耳が異様に反応した。最後の最後まで彼女は私に「滾り」を提供してくれる。
しかし「滾り」はここで終わらない。
上手前方席だったので最後に立て膝をするコンデュルメル夫人を真正面から見る形となった。脚が、見えた。ドレスのスリットからのぞく脚が、見えた。しかも意外と中の方まで見える。
私は逡巡した。これは、見てはいけない。見てはいけない。いけない、いけない、よな…
次の瞬間私はオペラをさっと上げ、あの綺麗な脚を一瞬だけ視界におさめた。
だがすぐに下ろした。なんだかチクリと罪悪感が生まれた。
が、もう一回、とすぐに上げた。
二回、見てしまった。
仕方ない。欲望にはあらがえない。
のちにコンデュルメル夫人のナンバー『私を愛して』の歌詞を読み、彼女の切ない恋心と自分でも止めようのない嫉妬や憎しみとの間でさまよい続け、どんどん堕ちてゆく心情を知った。
押さえがたい愛憎を抱えてる女性は醜くもあり美しくもある。そしてその女性の不器用な生き方はひどく心に刻まれる。しかも容姿が端麗で妖艶となれば、刻まれた上に縛り付けられる。
めでたく私はコンデュルメル夫人の虜となった。
思惑通りだった(誰の思惑かは知らない)。
コンデュルメル夫人というキャラクターが好きだと思った。
とてつもなくめんどくさい女だけど、放っておけない弱さに惹かれた。
そしてそれを鳳月杏が演じているというところが、非常に重要だった。
他の人が演じていたらここまで堕ちただろうか?
こんな何の価値もない文章を書き散らかすほどに。
うっすらとわかる。
ここまでは堕ちていない。
(トップになるまえのゆきちゃんが演じていたら、あるいは堕ちたかもしれない。でも少し感情が違うように思う)
もはや私はここまでコンデュルメル夫人に愛されたコンデュルメルになりたいとすら思っている。そしてさんざん彼女に見向きもせず、傷つけ、やがて彼女の大きな愛に気づくというとてつもなく大きな幸せを享受したい。
それが叶わないのなら、コンデュルメル夫人の愛人になり、結局のところ彼女は夫の愛を欲しがっているんだと気づいて強烈な嫉妬に狂いたい。
ここまでくると私はちょっと頭がおかしい。
私こそこじらせ過ぎている。
フィクションの登場人物にここまで執着するなんて。
そろそろ気持ち悪さが噴出してきのでここらへんでやめよう。
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最後に。
コンデュルメル夫人はカサノバをはく製にしようとしていたけれど、私はコンデュルメル夫人をはく製にしたくてしかたがありません。ぜひ部屋に飾りたい。
でも当然のことながらそんなことが叶うわけありません。
だから…
せめて…
誰か…
コンデュルメル夫人を忠実に再現したフィギュア作ってー!
(オタク、魂の叫び)
次に『CASANOVA』を見れるとすれば大劇場千秋楽のライブビューイング。
きっと違う感想が溢れてくるのでしょう。それが今から楽しみで仕方がないのです。
チケット、ぜひに当たってくださいませ。